根拠のない自信だけで生きている私ですが
どうして根拠のない自信があるんだろう…?
と私なりに考えてみました。
きっと根底にあるのは比べない育児をしてくれた母と
ちびまる子ちゃんの友蔵のような愛情深いおじいちゃん。
そして子育て中の私も自分の子どもに今日からできる
自己肯定感の作り方を実体験をもとにお話しします!
この記事では根拠のない自信だけで生きている私の根底を深掘りします!
育児に悩むママ、パパさんへ 私の経験を元に「自己肯定感」を育てる育児をお伝えします!
勉強も習い事もダメ。兄弟の中で一人だけ出来損ないだった自分

私、本当に何もできなかったんです。
兄は頭がよく、学年でいつも上位。
教えなくてもスルスルとこなしてしまうタイプ。
弟は多才なタイプで、何をやらせても必ず成果を出していました。
反して私はというと、兄は1回で覚えることを私は10回やっても覚えない。
弟が卒なくこなすことを私はできた試しがない。
勉強もできなければ習い事もすぐ飽きて続かない。
得意なことが本当に1つもありませんでした。
「お兄ちゃんはあんなに頭がいいのに」
「弟はいろんな才能がある」
普通なら、そんな言葉を自分に投げかけて
劣等感を抱えてもおかしくない環境でした。
実際、親戚が集まる場所では
優秀な兄やきちんと成果を出す弟ばかり褒められていて
私は褒めるところが一つもないんだな〜と
子どもながらに自覚していたことを覚えています。
優秀な兄や多才な弟の間で育ちました
私一人だけ本当に何もできなかったんです!

同級生には本当に兄弟?!と疑われていました!
テストは100点満点中、20点。お腹を抱えて笑う母

そんな「出来損ない」の自覚があった私ですが
ある時国語のテストで衝撃の回答を叩き出しました。
物の数を数え方を答える問題。
でも当時の私は自信満々にこう回答しました。

我ながら独創的!
普通なら返ってきたテスト用紙を見て
「何でこんなこともわからないの?!」
と問いただしたり
「うちの子大丈夫かしら…」
とため息まじりに頭を抱えてしまいますよね。
ところが私の回答を見た母の反応は、予想外のものでした。
「ギャハハハハハハ!あんたって本当に最高!!!こんな面白い子あんたしか居ない!!!待ってもう、笑いすぎてお腹痛いわ!」と
大はしゃぎ。
呆れるどころか「こんな面白い回答を書けるなんてあなたは最高!天才よ!」と
言わんばかりの弾けた笑顔でした。
その時、幼いながらに私は
「間違えることは悪いことじゃないんだ」
「私は私のままでこんなに誰かを笑顔にできるんだ」
そう思ったことを覚えています。
そう、どれだけ出来損ないでも兄弟や他人と「比較」されたことがありませんでした。
「あなたはあなたのままでいい」というメッセージを母は常に送り続けてくれていたな、と思います。
どんなに出来損ないでも兄弟や他人と「比べる」ことを決してしなかった
「ありのままの私」を丸ごと受け入れてくれた
失敗さえも「笑顔」に変えて差し出してくれた
サトちゃんに連続20回。私のわがままを誰よりも喜んでくれた祖父

私は幼少期、薬局のゾウの乗り物「サトちゃん」が大好きでした。
必ずじいじを連れて向かいます。
一度乗ったらもう一回。それが終わったらまたもう一回。
普通なら「もうおしまい!」「次で最後だよ!」と切り上げますが
じいじは違いました。
私が「乗りたい!」と言えば、気が済むまで、満足するまで
ずっと横でニコニコしながら付き合ってくれました。
じいじは私のわがままを「ワガママ」として受け取らず
まるで「大切な贈り物」のように扱ってくれました。
私が嬉しそうに笑うとその100倍嬉しそうに、鼻の下を伸ばしながら横でデレデレしてる。
言葉ではあまり表現しない祖父でしたが、顔と態度に全て出てしまっている。
例えると、ちびまる子ちゃんの友蔵のようなそんなおじいちゃんでした。
「自分の願いは誰かに受け入れてもらえる」
「わがまま」を言うことは悪いことではない
「私が笑えば、大好きな人も幸せになれる」
そんな風に感じながら過ごした幼少期でした。
自己肯定感の正体は「自分はここにいるだけでいい」という確信

「自己肯定感が高い」というと、何か特別な才能があったり
人より優れていたりすることだと思われがちです。
でも、私の場合は真逆でした。
勉強ができなくても、習い事が続かなくても、わがままを言っても
母が笑い飛ばし、じいじが寄り添ってくれたことで
私の中に揺るぎない「確信」が育ちました。
「何ができてもできなくても、私はここにいていいし、愛される存在なんだ」
「私がここに居て笑う、それだけで幸せになる人がいる」
「失敗」すらも「ネタ」として面白がってくれる人がいる
できないことが悪いことだと思ったことがありませんでした。
子どもに自信家になってほしい。母からもらったバトン。現在の私がしていること
1.姿が見えなくなるまで見送る
2.玄関先まで小走りで「おかえり!」
3.手を止めて、目を見て話を聞く
4.否定せず、あえて「失敗」させてあげる
5.子どもの前で、誰かの悪口を言わない
6.聞けるワガママは極力聞いてあげる

1.姿が見えなくなるまで見送る
毎朝、子どもたちが角を曲がって見えなくなるまで外に出て見送ります。
雨の日も、風の日も、外に出て。
私の母は、姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれてる人でした。
「気にかけてくれる人がいる」という感覚は
それだけで一日の安心感が変わると思っています。
2.玄関先まで小走りで「おかえり!」
子どもたちが帰ってきたら、家の中から声をかけるのではなく
玄関まで小走りで向かいます。
母が私にしてくれたように「あなたの帰りを、首を長くして待ってたよ!」
という喜びを全身で表現したくて。
その瞬間子どもたちの顔がパッと明るくなるのを見るのが、私の幸せです。
3.手を止めて、目を見て話を聞く
「ねぇねぇ、ママ」と言われたらスマホや家事の手を一度止めて、耳を傾けます。
私が嬉しそうに話すと、母はもっと嬉しそうな顔をしました。
話を聞いてもらえることより
自分の喜びを一緒に喜んでもらえることの方が嬉しかったのかもしれない。
特別なアドバイスなんていらない。
ただ「聞いてもらえる」「大切にされている」という実感が
子どもの心を強くすると知っているからです。
4.否定せず、あえて「失敗」させてあげる
母は、私が失敗するとわかっていても私の意見を否定せずに挑戦させてくれました。
だから私も、危ないこと以外は口を出さずに見守ります。
失敗してもまた立ち上がればいい。
その経験の積み重ねこそが、本当の自信に繋がると知っているからです。
5.子どもの前で、誰かの悪口を言わない
これ、かなり大事だと思っています。
私は子どもの前で、誰かの悪口を言わないと決めています。
理由は単純で、私自身がそうやって育てられたから。
母は人の悪口を言わない人でした。
家の中にネガティブな言葉がなかった。
それだけで、私にとって家は「世界で一番安全な場所」でした。
家族は全員、私の味方なんだ。
という確信が、今の私の自己肯定感の根っこにあると思っています。
だから私も子どもにとって一番近くにいる大人として
優しい言葉を使う側でいたい。
世界は優しい場所だよ、と背中で伝えていきたいのです。
きけるワガママは、極力きいてあげる
毎日は無理でも、私の余裕がある時は
子どもの「やりたい!」にできるだけ応えるようにしています。
「今日はお菓子を2個買いたい!」
「お庭のプール、裸で入りたい!」
「今日はゲームを2時間やりたい!」
大人から見れば「えっ」と思うような本当にささいな、小さなわがまま。
でも、それを「いいよ!」と受け入れてもらえた経験は
子どもにとって「自分の意思が誰かに認められた」という強烈な自信に変わるんです。
おじいちゃんが私をサトちゃんに20回乗らせてくれたように。
心のコップが満たされるまで付き合ってもらった記憶は
いつか子どもたちが壁にぶつかった時、「自分なら大丈夫」と思えるお守りになると信じています。
けどそんなにうまくいきませんよね…お母さん、お父さん、毎日お疲れさまです。

ここまで私の実体験を書き連ねましたが
我が子に毎日同じことができていますか?と聞かれたら答えは「NO」です。
親も人間です。疲れている日も、イライラしてしまう日も
何もかもうまくいかない日もある。
「こうしてあげたい」という理想はたくさんあるけれど
全てを完璧にこなすなんてできるわけがないんです。
ただ少し意識してみるだけで、変わることもきっとあるはずです。
心の余裕が少しある日に、できることをほんの少しやってみる
それで十分だと思うんです。
子どもにとって一番の幸せは大好きなお父さんやお母さんが「笑顔」でいることなんですから。
私は我が子が何もできなくても、得意なことがなくても
今日も元気に笑顔でいてほしいと願っています。
「ただいま」と明るい声で帰ってきてくれたらそれでいい。
今日も元気な「ただいま」が聞けるといいな。そう願う日々です。




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